当日のこと。

なごむとまつり

なごむ

当日のこと。長文よ。

日付が変わってほどなくして、鼻息の荒さが少し和らいだような?そんな気がしたまま朝を迎えた。
先生からはお水でもトロミのオヤツでも飲ませられないかな?とのことで、水をスポイトであげたらコックンと喉を鳴らして飲んでくれた。
おや?いけるか?と調子に乗ってちゅーるに砕いたてんかん薬を混ぜて、少し水を足してコクンと飲んでもらった。おいおい、すごいじゃないか。でも私が調子に乗ってはいけない。数時間おきに口を湿らせる程度に飲んでもらうことにした。

空きの時間ができると我が家に電話をくれる先生。
もう少しで24時間オシッコ出してないよ。鼻息が荒いのはまだ続いているよ。とお昼に報告。

そして昨日力が抜けた時から24時間後、とうとう口呼吸になってヨダレが出てくるように。ということは、お水は飲めない状態。でも足はとてもポカポカしていた。

実は朝にウォレ助を若い時から知っている友達に顔を見に来てと連絡していた。朝の段階では今すぐどうこうではないと思うんだけど…って感じで。
夕方頃から危ないなと雰囲気でわかったので、ぜひ来てね!とまた連絡。

夕方遅くになってオシッコが出ていた!トイレシーツが濡れていたのだ。ああ、出た!良かった!と思って、まつりとなごむにご飯をあげていた時にダンナが「また出たよ!というかたくさん出てるよ!…もしかしたら呼吸止まってるかも」って。
なんじゃそりゃ!!ずっとそばにいたのに。深呼吸も痙攣も何もなく、眠るように?本当に眠るように死ぬってやつじゃないか。と。まだ筋肉はピクピクしていた。えー!なんなのー!ウォレス教えてよー!ってくらい静かに眠ってしまった。

18時半に電話をくれと先生から言われていて、本当にその時間。「先生、今、たった今死んじゃったよぅ」と泣きながらご報告していたら、鼻からドバドバと体液が。涙も引っ込み、先生に「ちょっとー!先生、鼻からすごいんだけど!」と。先生も涙声だったけど、もっと出るよって。もう電話どころじゃなくて「切ります!」って言って切ったよね(笑)なんて失礼な私。
いや本当に。バケツが必要なくらい。
そんな時に友達が我が家に到着。30分差だったよ。でも泣くどころか処理に追われて、なんだかもうみんなで笑いながらだった。
悲しいよ、寂しいよ。でもアレ出てくるのすごいんだもん。
友達には申し訳なかった。亡くなる前に顔見て欲しかったし、ウォレスだって会いたかっただろうし。それなのに掃除が大変。笑うしかないんだもの。
どうにか体液が流れない体勢を作って、やっと友達にありがとうねと、何のありがとうなのか。処理のありがとうなのか、これまで仲良くしてくれてありがとうなのか。もう気持ちはグチャグチャよ。

その夜はいつものウォレスのベッドの場所で寝てもらい、だけどまつりは怯えていた。震えて近付かなかったから。

そんなこんなで、亡くなる日を迎えてしまったのだ。
何度も書くけど、何それって感じだったの。長く闘病していたのに、あまりにも静かに穏やかに逝ってしまって。残った私たちはやり切った感と、ウォレスだって何度も復活しての今日なのだから。ステキな最後じゃないか。とね。笑顔で見送り、大変だった毎日も全く忘れて、清々しい最後。私もそうありたいと思う最後。理想的。

が、しかし。翌朝ものすごいことに。またそれは明日にする。